年末年始にDINKs(仮)として実家へ帰省すると、
楽しい時間の中に、少しだけ胸に引っかかる感情が混ざることがあります。
「子どもの話題は出るのだろうか」
「今の生き方をどう見られているのだろうか」
この記事では、DINKs(仮)が実家へ帰省して感じたリアルな体験談を、
私の視点で、そのまま言葉にしてみます。
答えを出す記事ではありません。
ただ、「同じ気持ちを抱いたことがある人が一人でも楽になる」ことを願って書いています。
この記事は、下記の記事の続編です。
年末年始の帰省は、独特の空気がある
日本の年末年始は、人が集まり「家族らしさ」が強調されやすい時期です。
悪気はなくても、
「キラキラと生きているか」
「愛されているか」
そんな無言のプレッシャーを感じる人も多いと思います。
正直に言うと、私はその空気があまり得意ではありません。
「自分たちが好きなように過ごせる自由度」を大事にしたいと思っています。
子どもの話題を振られなかったことへの安堵
今回の年末年始は、私の実家と妻の実家に夫婦二人で帰省しました。
印象的だったのは、
どちらの親族からも子どもの話題を振られなかったことです。
「まだなの?」
「考えてないの?」
こうした言葉は、悪意がなくても居心地の良いものではありません。
聞かれなかったことで、正直ホッとしました。
DINKs(仮)という、あいまいな立場
私たちは
「絶対に子どもを持たない」と宣言しているわけではありません。
可能性をゼロにはしていない。
でも、今のところ積極的でもない。
いわばDINKs(仮)の状態です。
※DINKs(仮)は、月岡ツキさんが著書「産む気もないのに生理かよ!」でも使われている造語です。
このあいまいさを尊重してもらえる距離感は、ありがたいものでした。
親族の集まりで見えた、子どもの居場所
親族が集まる場に、子どもは一人だけ参加していました。
大人が会話に夢中になる中、
子どもは途中で席を外し、どこかへ行ってしまいました。
話題に入るのは難しい。
こちらから話しかけないと、会話に加われない。
その姿を見て、少し胸が痛くなりました。
自分の子ども時代の記憶と重なる
ふと、自分の子ども時代を思い出しました。
大人だけの親戚の集まりは、
焼肉を食べ、お年玉をもらった後は、正直ひま。
テレビも退屈で、
「早く帰りたいな」と思っていた記憶があります。
いとこがいたから、楽しかった
一方で、楽しかった思い出もあります。
それは、年の近い、いとこがいる親戚との集まり。
やることはゲームばかりでしたが、
昼も夜も一緒に過ごす時間は特別でした。
子どもにとって、
「誰と一緒に過ごせるか」は、とても大きい要素なのだと思います。
「ごめんね」と思ってしまった
だからこそ、親戚の子どもが、少し寂しそうに見えました。
そこに、どこか自分たちの責任があるのではないかと感じてしまったのも正直なところです。
自分たちがDINKs(仮)という生き方を選んでいることで、
私たちの子どもと親戚の子どもが一緒に遊び、時間を共有する、
そうした場面は、これからも訪れなさそうだと思ってしまいました。
考えすぎかもしれません。
それでも、こうした一つ一つの場面で、
DINKsという生き方は、ふと胸に刺さることがあるのだと感じました。
思わず、心の中で「ごめんね」とつぶやく。
私が子どもの頃に感じていた、親戚との集まりの楽しさとは、
きっと違うものとして映っているのだろうな、と思ったのです。
大人になった今、会話を楽しめる帰省
正直に言うと、
こうした気持ちを抱えたまま、
自分が楽しんでいることに、少し引っかかりもありました。
それでも、一方の私は、
登山の話で親族と盛り上がっていました。
これは子どもの頃にはなかった楽しみ方です。
会話を中心にした帰省は、今だからこそ味わえるものだと感じました。
そして、これだけ山に登れているのは、今の生き方を選んでいるからです。
子どもがいる友人と過ごしても、揺らがなかった気持ち
年末年始には、友人と、その息子とも一緒に会いました。
一緒にご飯を食べ、お風呂にも行きました。
「会話のできる息子って、いいものだな」と思う瞬間はありました。
だからといって、私も欲しいという感情にはなりませんでした。
一時的に関わる「良さ」と、
日常として向き合う責任は、まったく別だと感じるからです。
自由・時間・お金を選んでいる今の生き方
私は、マイペースで過ごすのが好きです。
登山装備にお金を使い、
マムートで全身を固める。
正直、変態寄りかもしれません。
お金は、登山装備をはじめ、
日常や仕事、山のファッション、飲食、車など、
自分たちが「良い」と思うことに、自分たちの責任で使っています。
休日は、ブログを書いたり、妻と山に出かけたり、
外食に行くことも少なくありません。
妻が「カフェで朝食をとりに行く」「勉強しに行く」と言えば、
私も「ほな、俺も行こかな」と、ふらっと一緒についていきます。
夫婦ですれ違いが生まれることもあります。
それでも、その違和感を放置せず、
きちんとテーマとして向き合い、二人で話し合う時間をつくれています。
「子は鎹」がないからこそ、
夫婦の課題は、夫婦だけで引き受ける。
その姿勢は、今の私たちには合っていると感じています。
猫はとてもかわいい存在です。
それでも、寂しさを抱えつつ、
猫を家に置いたまま宿泊登山に出かけることもあります。
こうした時間の使い方、お金の使い方ができているのは、
DINKs(仮)という選択をしているからだと思います。
人は、人生ですべてを得ることはできません。
子どもを否定しているわけではない
誤解してほしくないのですが、
私は子どもを否定するつもりは一切ありません。
親として頼られる存在価値。
深まっていく会話。
生きる理由になる関係性。
それは、かけがえのないものだと思います。
周囲のリアルな夫婦・家族の姿
ただ、私の周囲を見ると、
子どもを持ち、悩みや不満を抱えていない夫婦は多くありません。
離婚に至った家庭もあります。
きっと満足している人もいるでしょう。
でも、簡単な話ではないことも、現実として感じています。
なぜ今の生き方に落ち着いたのか
私たちは最初から、この生き方を選んだわけではありません。
結婚当初は、子どもを持つつもりもありました。
でも生活を共にする中で、話し合いを重ね、
「今の暮らしでも十分ではないか」と感じるようになりました。
子どもと仕事は、年齢と強く結びつくテーマです。
選べる(と思っている)うちは、悩み続けることになります。
だからこそ、
自分たちで選んだ生き方だと言えるように、考え続けたい。
後悔ではなく、納得として受け取れるように。
まとめ|2026年も、今の一日を大切にする
DINKs(仮)として実家へ帰省し、
さまざまな感情に触れました。
親も年を取り、いつか別れの時がやってきます。
多くの場合は、自然な順序として親が先になるのでしょう。
けれど、そうではない別れが訪れる可能性も、決してゼロではありません。
人は、出会った瞬間から、
同時に別れに向かって歩き始めているのだと思います。
パートナー、親、子ども、友人、知人、仕事仲間。
形は違っても、どんな関係にも、いつか終わりは訪れます。
だからこそ、
その別れが訪れたときに後悔が残らないよう、
できるだけ良い時間を積み重ねていたいと思いました。
人生に、絶対的な正解はありません。
それでも、今の生き方を楽しみながら、
一日一日を大切にしていく。
そんな気持ちで、2026年も歩いていこうと思います。
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年末は、
「あなたは愛されていますか」
「一緒に過ごせる人はいますか」
「誰かの特別な人ですか」
と、どこか脅迫的に問いかけられているような空気があります。
そうした中で、
DINKs(仮)はどんな感情になるのか。
私たちは、その空気とどう向き合っているのか。
この記事の前編で語っています。



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